愛は修行
もしブッダがあなたの恋人だったら、
果たしてあなたは満足するだろうか。
きっと満足しないだろう。
その愛は冷たく感じられる。
情熱が感じられない。
あなたはきっとこう感じるだろう。
「彼が私を愛するのは、
あらゆる人間を愛するのと同様だ。
私は特別ではない」。
そのせいで、その愛が贈り物のようには
感じられない。
それが彼の在り方だ。
だからこそ、彼は愛情深い。
その愛があまりに自然であるから
あなたはきっとそれに満足しない。
よく考えてごらん。
憎しみのない愛に、
あなたは決して満足できない。
また、憎しみのある愛ににもまた、
決して満足できない。
これこそが問題だ。
どちらにせよ満足できない。
憎しみを伴う愛は
あなたを満足させない。
常にあなたを病ませる。
なぜなら、憎しみの部分が
あなたを損なうからだ。
また、憎しみのない愛は冷たく感じられる。
ブッダの場合、
その愛は自然に起こるから、
たとえあなたがそこにいなくても、
その愛は起こっている。
それは別に、
あなただけのものではない。
それであなたのエゴは不満を感じる。
それで、私の思うに、
もしあなたが
ブッダと非ブッダのうちから
恋人を選ぶとしたら、
きっと非ブッダを選ぶだろう。
非ブッダの言語なら理解できる・・・
非ブッダなら少なくとも自分と同じだ。
非ブッダを選べば、
争いもするだろうし、
喧嘩もするだろう。
すべては混乱だ。
気違いじみた混乱だ。
それでもあなたは
非ブッダを選ぶだろう。
ブッダは高すぎる。
あなたが上昇しない限り、
ブッダの愛の在り方は理解できない。
相手が非ブッダだったら、
つまり無智な人間だったら、
あなたが変わる必要がない。
そのままでいい。
がんばる必要はない。
実際、恋人同士の間では
ちょうどその逆が起こる。
二人の人間が出会って恋に落ちると、
互いに「自分は非常に高いところにいる」と
相手に思い込ませようとする。
互いに自己の頂点にいるように装う。
でもそれは至難の技だ。
そんな頂点には長くとどまれるものではない。
だから二人の関係が落ち着いてくると
両方とも地に墜ちる。
だから恋人たちは、
いつも互いにがっかりする。
以前は相手のことを神々しいものと
思っていたのに、
落ち着くに従って、
すべてがありきたりで、
平凡なものになってしまう。
そこで相手にだまされたと思う。
いや、相手はだましていたわけではない。
ただ最高の自分を示していただけだ。
だまそうとしていたわけではない。
意識的にどうこうしていたわけではない。
お互いに同じことをしている。
でも、
いつもでもそんなわけにはいかない。
それは骨折り仕事だ。
そこで下に降りてくる。
恋人同士が落ち着き、
なれ合ってくるに従って、
二人の示す外観は、
ひどくありきたりで、
みすぼらしく、
平々凡々なものとなる。
かつて示した外観とは正反対だ。
かつては天使だったものが、
今では悪魔の手先だ。
普通の水準にまで墜ちてしまう。
普通の愛は上にる努力を要求しない。
ところが恋の相手が悟った人間なら・・・
それは稀だ。
ごく幸運な人々だけが、
そんな恋に落ちる。
それは稀なことだ。
そうしたことが起こるのは、
悟った人間を何生にもわたって
探し求めていたときだけだ。
そうして初めて、
悟った人間に恋をするということが起こる。
悟った人間に恋をするということ自体、
まことに大したことだ。
でもそうすると問題が起こる。
つまり、悟った人間に対しては、
上に昇らないといけない。
相手はあなたの水準まで降りてこない。
それは無理だ。
不可能だ。
あなたが彼の高みにまで行くしかない。
そこまで旅し、
変容するしかない。
それゆえ、愛はサーダナ、修行となる。
ブッダに恋すれば、愛は修行となる。
それはこの世で最も大いなる修行だ。
それゆえ、
ブッダとかイエスとか老子といった
人間がいるところでは
常にたくさんの人間が
何生もかかっても
到達できないような高みに
一生のうちに到達する。
でもまず恋に落ちることが肝心だ。
なぜなら、必ずしも恋に
落ちるとは限らないからだ。
例えば、あなたはブッダの時代に
生きていたかもしれない。
必ずやどこかにいたはずだ。
自分の村や町をブッダが通りながら、
彼のことを耳にもしなければ、
目にもしなかったかもしれない。
ブッダのことを耳にしたり、目にしたり、
あるいは彼のそば近くにやってくるためには、
ある一定の愛が必要だ。
ある一定の探求が必要だ。
悟った人間に恋するというのは、
意味あることだ・・・
実に意味あることだ。
でもその道は険しい。
普通の人間に恋するのはやさしい。
何も要求されない。
相手が悟った人間だったら、
その要求の大きさゆえに、
その道はきびしい。
上に向かってずっと旅する必要がある。
そしてこんな障害がある。
彼の愛は冷たい。
その愛は
万人に
向けられている。
Osho
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